2014年12月22日月曜日

変わらないのは歩道橋だけ


 一時帰国中の業務報告で、久しぶりに豊洲にやって来ました。

 呉から豊洲に転勤になったのは昭和63(1988)年のこと。

 当時、この地にあった造船所で働いていたのです。

 その造船所が、丸ごと横浜に移転することになり、私自身も横浜に移ったのが平成13(2001)年のことでした。

 ああ、それなのに! この地には13年も通っていたはずなのに!

 「懐かしいなあ」という感覚がまったくわいてきません。

 それくらい街のイメージが変わってしまっているのです。

 造船所の跡は、近代的な商業施設に生まれ変わっている。

 豊洲交差点の近くで、レバ刺しをつまみにホッピーを飲んでいた酒場はなくなり、真新しい高層ビルが建ち並んでいる。

 自分の知ってる懐かしい豊洲は、もうどこにも残っていないのか。

 暗澹(あんたん)たる思いで歩いていると、まわりの景色から完全に取り残されているような、古い歩道橋を発見。

 おぉ~っ。これは覚えてるぞ!

 この歩道橋のこっち側に食堂があって、毎朝そこで天玉そばを食べてから、歩道橋を渡った先の正門から会社に行ってたんだ。

 会社の帰りに、ここの食堂で飲んだりもしたよなあ。

 食堂も正門も、まわりは全部なくなったけれど、歩道橋だけが今も残ってるんだ。

 この歩道橋の下、道路のさらに下に、向こう側とこっち側をつなぐ、社員しか通れない地下道もあったんだけれど、それも当然なくなっちゃったんだろうなあ。

 それにしても、ひとつでも懐かしいものがあって良かった良かった。

 この歩道橋がなかったら、13年も過ごしたのに『かつて自分の街だったんだ』とも思えないところでした。

朝食:自宅で朝カレー
昼食:焼き鳥そぼろ丼

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